私は、ひとりでいることを楽しみたいから誰かと一緒に時間を過ごすし、誰かと一緒に時間を過ごしたいからひとりでいたい

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おはようございます

最近はもう嫌になるくらい暑くて、でもそんな中食べるアイスは最高で、そんな風に涼みたいからまずは外に出ちゃうみたいな、そんな感じです

夏は、はじけるような爽やかさと、うだるような暑さが共にあって、なんかそれってすごくずるいことだなあなんて思うんです

でもひともそうかなあ

季節もひとも複数の側面や顔を持っていて、この部分はすきだけどあの部分はきらい、ってのはあるんじゃないかな

だからひとつの面で「すき」「きらい」は決められなくて

というか、すきときらいってセットなんじゃないかと思う

すきな部分があるならきらいもきっとついてくるというか

超極端なこと言っちゃうと、「すき」って言うことは他の部分やひとを「きらい」って言うのと同じじゃないかと思うんです

誰かがすきならほかのひとは嫌いなんだろうし、誰かのある部分がすきなら他の部分できらいなところがあるんだろうし

まあそんなこと書いてる私も、過去にひとりだけ100%すきです!ってひとがいたから例外はあるかもだし、別にきらいってほどじゃないよふつう~って声も上がるかもだけど

そのよく言う
すき ふつう きらい
の分け方が個人的にはよくわからない

私は
すき きらい 無関心
だとずっと思ってて、みんなの言うふつうは無関心で、それはきらいよりも価値が低いというか、そのひとにとって特別感が何もないって意味で最低の位置付けなのかななんて思います

だって何の関心も持たれてないわけだからね

きらいという感情であったとしても、何かしらの感情を抱く対象として見てもらえてるんだから、きらいって言われるほうがすかれてるのに近いんじゃないか、きらいってことはすきも含まれてるんじゃないか…なんて言っても、あんまり共感してもらえないかな

中にはすきとかきらいとかぶっちゃけどうでもいいって思うひともいるかもしれないけど、でも私はすきとかきらいとかが、すごくすごくすきです

ひとをそのひと足らしめるものって、結局「何がすきで何がきらいか」だと思うから、すききらいを知ることがそのひとを知ることだと思うんです

しかもすきときらいって感情の爆発だと思ってて、そういう点でも1番そのひとを表してるかなあって

嬉しいだとか悲しいだとか、いろんな感情がうごめく中で最終的に出されるのがすきときらいなんじゃないか、って考えてる私の超独断ですけど、でも強烈な感情であることは確かだと思う

私はSNSですきなものを投稿しちゃうんだけど、それって私を知ってくださいアピールなのかなとか考えるとちょっと可笑しい(笑)

私はひとりの時間がないとだめなひとだから、ひとと一緒にいすぎるのが嫌なんだけど、それはずっとひとりにしてって意味では決してないし、ひとを避けてるようで実はすきなものを投稿しまくって、ひとの共感だったり反抗だったりを待ってるのかな、とも思ったり思わなかったり(書くことで「私ってこうなのかなあ」なんて気付けるのは楽しいです)

私は、ひとりでいることを楽しみたいから誰かと一緒に時間を過ごすし、誰かと一緒に時間を過ごしたいからひとりでいたい

誰かと一緒にいるから「ひとりになりたい」と思えるし、ひとりでいるから「誰かに会いたい」と思える

私はひとりでいることも皆といることもすきで、同時にきらいです

きらいだけどすきです

もし、私がすきです会いたいですって思ったときに、ちょうど運良くその誰かさんも私に会いたいと思って会ってくれるなら、ひとりの時間だってこれからも寂しいなんて思いません

私は、夏がすきであのひとがきらいです

私は、

夏がきらいで、あのひとがすきです

お わ り