こんなに綺麗で、ずっと見ていられたらいいのにと思う色に、これから先何度出会えるかな
こんばんは
すっかり日暮れが秋の匂いを漂わせて、なんだかいろんなものが懐かしく思える季節になりました
夏は鮮やか、秋は朧げ、そんなイメージがあるんだろうなあとは思うんだけど、私は、秋には一番濃い時間が流れているんじゃないかと思います
それは、冒頭にも書いたように「懐かしい」という気持ちが飽和する季節が、秋だからです
秋は静かに、今ここにいる私たちに、あくまで「今」を通して昔を思い出させてくれる
色褪せた思い出が素直にそのまま、何か飾られたり修正されたりせずに、自分の中に溶け込んでくれるのが、秋です
過去はいずれ薄れゆくもの
だから今を大事にしようとか、そういうことを言いたいんじゃないです
私は、そんな暴力は嫌いです
そんな理由で大事にされる今の気持ちにもなってみろよな
私は今日、「色褪せる」の定義を変えたくて、この記事を書きました
【色褪せる】
[動サ下一][文]いろあ・す[サ下二]
1 色がさめる。色が薄くなる。「―・せたカーテン」
2 美しさやみずみずしさなどがなくなる。新鮮みがなくなる。衰える。「―・せた容色」「―・せた企画」「―・せた思い出」
辞書的にはこう説明されているけど、色褪せるって、本当に色が冷めちゃって、美しくなくなって、衰えちゃうってことなのかな
色褪せた思い出よりも、鮮やかに蘇る思い出のほうが、価値があって、重要で、大切なんだろうか
もしそうだとしたら、そんな世界で生きようなんて、私はきっと思えない
そもそも、「思い出が鮮やかに蘇る」なんて経験が今までに一度もありません
どんなに強烈なきっかけがあっても、「懐かしいな」と昔を愛おしむときはいつも、何かが欠けてしまっているような、物寂しい感覚がついてきます
それは確実に、私が思い出のうちで何かを忘れてしまっているからです
でも私は、その「欠けている」という感覚を、なんとなく、でもはっきり、知覚することができて、その感覚が、大事なんじゃないかと思います
色褪せた思い出は、鮮やかさを失っても、無色透明になったわけじゃないもんね
消えながらも、遠ざかりながらも、色を失いながらも、ちゃんとそこにとどまろうとしてくれる記憶が、そこにきちんと「ある」とわかる
きっと、そこに置いてきた記憶に宿っている私の小さな意志が、「ここにいたい」と頑張ってくれているんだろうな、なんて思う
正しくくすんだ色をして、お行儀よく残ってくれている、私の大切な記憶
こんなに綺麗で、ずっと見ていられたらいいのにと思う色に、これから先何度出会えるかな
私は、鮮やかに蘇る思い出なんてたったのひとつとして必要ないと、本当にまっすぐ、素直に、言葉にしたい
思い出は美化されるから無敵だなんて、そんなこと言ってほしくないんです
思い出は、記憶は、少しずつ形が崩れて、色が変わって、匂いもしなくなって、きっと、いつか原型がわからなくなってしまうくらい私たちから遠ざかってしまう
視力が悪くなったときみたいにぼんやりと姿を見失う感覚で、きっと私は誰かとの大切な思い出の欠片を失っていく
その遠ざかってしまったという感覚を、ぼやけていく輪郭を、私はいつまでもいつまでも覚えていたいな
今を生きる私たちの脳みそには思い出が入りきれなくて、素敵な思い出が増えれば増えるほど、どれかは明瞭さや占める面積を奪われてしまう気がする
でも、素敵な思い出がいくら増えても消えない粒が、色褪せながら、そこにいてくれる
色褪せるって、消滅中って意味じゃないよね
色褪せるって、「残る」ってことだ
大事なものは、残ってくれるよ
もちろん「思い出せない」って感覚に苦しめられることもあって、あんな大切なことをなんで忘れちゃったんだろうって泣きたくなることもあるかもしれない
あっていい
私たちは忘れてしまう
残酷なほどに、遠慮なく、忘れてしまう
でも、「覚えていたい」という思いのほうが、実際に「覚えている」ことよりもずっと確かなことだって、私は強く信じていたい
誰かがいなくなって、不在を通してそのひとの存在の大きさを感じるように、大切な場所を訪れたときの「何かを忘れてしまっている気がする」という感覚が、思い出せない悲しみや切なさを呼び起こすから、忘却を寂しいと思えるから、過去のその時間がどれだけ大切だったのか、どれだけかけがえのないものだったのか、どれだけなくしたくないものなのか、やっとわかるね
私は大事なその感覚を、失くしてしまいたくないな
あの愛おしい感覚を捨ててまで、大切な思い出をあのときと同じ鮮やかさで再生したいなんて、ほんの少しも思わない
そんな風に何度も生き返る使い回しの思い出なんて、嘘っぱちの思い出なんて、欲しくないです
私、鮮やかじゃなくても、若くなくても、豊かでなくても、はっきりしてなくても、ちゃんとその思い出が好きって言えます
私はもうきみのことをあのときのまま思い出すことはできないけど、でも確かにきみはここにいたんだねと、そして私はきみのことが大好きだったんだねと、何度だって言いたいよ
触れられなくても手を取り合えるもの、
見えなくても瞳に映るもの、
音がなくても聴こえるものを、
ずっとずっと大切にしていきたい
一番大事なものは、絶対に消えないと言えるから
それぞれのひとたちとの「一番」はずっと私の内側や、大事な場所に残っている
忘れたという感覚を植えてつけてさえ、残ろうとしてくれているんだよね
これまでに何度通ったかわからないあの大通りだって、私にとってはきっといつまでもきみと並んで歩いた六月の景色で
あの有名作家のファンなんて知り合いに何人もいるけど、私が一番に思い出すのはいつだってあなたひとりです
どんな会話をしたのか、あのひとがどんな表情を浮かべていたか、それらはもう思い出せないけど、今でもあのコンビニに入ったり、夏の夕暮れになったり、よく待ち合わせのときに乗ったバスに揺られたりすると、私はなんとなく懐かしくなる
それで十分だ
それ以上のことはないんだってことを、心の奥底ですでに確かめたから
色褪せて光も彩度も失いながら、でもかすかに残る記憶を、その距離感を、曖昧さを、ずっと大事に守っていこう
不器用で万能ではない私たちの脳みそすら、ゆっくりやわらかく愛していこう
50年後、私は昨日や今日あなたと喋ったことやきみと笑い合ったことを、きっとほとんど覚えていない
でも、色褪せていく思い出は、たったひとりでも、その50年間頑張り続けてくれると信じています
だから、明日も明後日も生きていくことが、私は何も怖くありません
私の意志に、頑張る力をくれてありがとう
願わくば、あなたがいつか忘れる私についての記憶にも、あなたの意志が生き続けてくれますように
お わ り