ずっとピカチュウでい続けられるって信じることも、いつかライチュウになるかもしれないなって考えながらピカチュウでいることも、きっと同じくらい大切です

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おはにちは

訳ありで寝れなくなって、かと言って課題ができるようなテンションでもないので、深夜にブログを書くことにしました(文章書いてると落ち着くよね、実際は書くというより打ってるんだけど)

夜中の3時に更新するのもなんなので、もっと常識的時間の朝か昼にあげると思います…変な時間に寝てなかったら

さて、せっかくポケモンGOが話題なので、今日はポケモンの話でもしようと思います

世界中でポケモンGO旋風が巻き起こり(?)、歩きスマホだとか位置情報がどうだとかいろいろありますけど、まず私はポケモンGOしてないです

別に嫌悪からじゃなくて、単にゲームで電池を減らすのが嫌なので(笑)ツムツム、パズドラもしてないしね

まああとは、デジタルのゲームについていけず、びびるほど弱い、というのもあります(人生ゲームは強いです、運だけど)(かくれんぼとかん蹴りに関しては、小学生のとき近所で無敵でした)

とにもかくにも私はポケモンGOをプレイしている身ではないので、Twitterで「へえ~こういうのがポケモンGOなんだ」ってシュ~ッ…ポッを繰り返していました

そんな風に知り合いのツイートを見て、ポケモンGOについて知った私が1番に思ったのが「えっ、ゼニガメフシギダネ?めちゃめちゃ私世代のポケモンでは」という驚きと感動でした

アニメを観ていた当時は、この2匹がとてもすきだったので、久しぶりの再会でいっきに昔の記憶が戻ってきました

私は小さくてかわいいポケモンがすきで、たとえばチコリータとかイーブイとか、膝に乗せたい系が私のストライクゾーン入りを果たしていました

でも、幼い頃は、ポケットサイズでもやっぱりモンスターな彼らが怖いときだって、私にはあったわけです

というか、ポケモンって進化するの?!ってすごく衝撃だったんですよね

あんなにかわいいゼニガメフシギダネがゴツくなっちゃうなんて…

嫌だ!!!!!

私はかわいいポケモンが進化するたびに泣いてました

私はゼニガメにもフシギダネにも他の皆にも、ずっとかわいいままでいてほしいのに、どうして皆進化しちゃうんだろう、どうして持ち主もポケモンの進化を何のためらいもなく喜べるんだろう、って不思議だったし寂しかったです

進化しないと強くなれなくて、強くなってジムリーダーを倒したりロケット団をやっつけたりしないとポケモンマスターになれなくて、ポケモンマスターになることが大事な世界なのであれば、進化がプラスの現象として受け入れられるのは当然だけど、そういう論理的なことが言いたいんじゃありません

でも私が嫌だって理由でポケモンたちが進化しなかったら良いのに、と思いました

進化しちゃうからポケモンはほんと残酷、って思ってたけど、これは多分私が「もうあの頃には戻れない」って感覚にすごく敏感な人間だからかもしれないなあ、なんても最近は思ってきました

もちろん進化は成長だし、良いことだってたくさんあるって知ってます

けどどうしても、私は保守的で、基本、変化が怖いと思ってしまうひとなんです

ポケモンの背丈が大きくなって、どんどん相手ポケモンを戦闘不能にしていくのを見て、やっぱりいつもどこか寂しかった

ポケモンマスターになることが讃えられない世界だったら、ポケモンたちもポケモントレーナーたちも、進化を望まなかったのかな

物語としては面白みに欠けるし、成長しないキャラクターっていうのは現実味が薄いかもしれないけど、大きくなるってことは心身の成長とともに他の何かを失うリスクも伴うから、保守的な私はそう考えちゃうんだろう(自分で書いといてだけど、大きくなることは悲劇、っていう小川洋子さんの作品のフレーズ思い出す)(一言一句同じではないかもしれない)

何はともあれ、どうしてもなんとなく進化は寂しいなと思ってた私を救ってくれたのが、ピカチュウでした

サトシのピカチュウです

サトシのピカチュウは、ライチュウに進化しないで、ずっとピカチュウのままです

記憶の限りだと、ライチュウと闘って負けたピカチュウが、雷の石を使ってライチュウになるか選択を迫られるけど、「ピカチュウのままで勝ちたい」って意志のもとピカチュウでいることを選んだ、ってエピソードがあったはず(違ったらすみません)

あとはサトシも「ピカチュウは進化させない」って言ってたし

姿はピカチュウのままでも、ピカチュウは自身のできる範囲でどんどん強くなるし、たくさんのことを学んでいくから、私はとっても嬉しかったです

自分はピカチュウのままでいる!ピカチュウのままで強くなりたい!って思えるピカチュウ自身も、進化による強さに頼りたくないピカチュウを受け入れてあげるサトシも、すごく素敵だなあと思ってました

私たちは自分の意志で身体の成長をとめることは出来ないけど、心の面で、この部分はずっと、永遠に大切にしたいな、って思える何かがそれぞれあるんじゃないかと思います

永遠なんてないっていうのはよく聞くフレーズですが、あるかないかは別で、

永遠を信じられることも、信じられないことも、素敵なことだと思います

ずっとピカチュウでい続けられるって信じることも、いつかライチュウになるかもしれないなって考えながらピカチュウでいることも、きっと同じくらい大切です

少なくとも私はそう思います

日々を過ごしながら、「こんな素敵な毎日が、なんかずっと続くような気がするなあ」「私のこんなところはずっと大切に守っていきたいなあ」って思えること

「こんな素敵な毎日も、きっといつかは終わっちゃうんだなあ」って毎日が愛しく思えること、「いつか変わってしまうかもしれないけど、今の私のこういうところがすきだ」って思えること

これはどちらが正しいってわけでもなくて、どちらにせよそう思わせてくれる周りのひとや環境に感謝したいね

あとはほんの少し、周りの素敵なひとたちのおかげでそう思えるようになった自分も褒めてあげたいかな

かわいいままのピカチュウでも、きっと毎日楽しいし、風鈴は涼しげに揺れるし、コンビニにはおいしいアイスがたくさんある

夏はもう終わりだよ〜って告げられちゃう前に、めいいっぱい夏を浴びておこう
 
私は、ゼニガメフシギダネのことを考えながらメロンバーを食べるし、皆は、今日もポケモンGOしに外に飛び出さなくちゃね

お わ り