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だって世界は自分に都合よく作られてるわけじゃないんだし

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こんばんは
今日はわたしの座右の銘についての記事にしますしました

ひとってそれぞれ自分を鼓舞するためだったり、戒めるためだったりで座右の銘を持ってるんじゃないかなと思います

座右の銘ってほど仰々しくなくても、少なくとも何かしらこんな風に生きたいなあとか、こんな人になりたいなあとかはあるよね、明確であれぼんやりであれ

ほんとに人の数だけ座右の銘はあるだろうけど、私の座右の銘は崔援の漢詩座右の銘』そのものです、私を戒めるための大好きな言葉です、という話をこれからしていきます

まずはその漢詩を紹介するところから(出だしとか有名だし知ってる人多いかも)


〈原文〉
無道人之短、無說己之長

施人慎勿念、受施慎勿忘

世譽不足慕、唯仁為紀綱

隱心而後動、謗議庸何傷

無使名過實、守愚聖所臧

在涅貴不淄、曖曖内含光

柔弱生之徒、老氏誡剛彊

行行鄙夫志、悠悠故難量

愼言節飲食、知足勝不祥

行之苟有恆、久久自芬芳



〈以下わたしによる頼りにできない意訳〉

他人の短所は批判すべきでなく、自分の長所は自慢するものじゃない

自分が他人のためにしたことは心に留めず、他人が自分にしてくれたことは決して忘れるな

世間の評判には惑わされず、仁を大切にするべきではないのか

落ち着いて行動すれば、誹謗だって気にならないものだ

名声を実力以上にするな、愚直であり続けることが尊いとは聖人が言ったことだろう

例え悪い環境にあっても染まらないようにせよ、外見には暗愚を纏いながらも、内では明哲さを手離さない人であれ

軟弱な様があるべき生き様だ、強くあることに対しては老子だって戒めている

いかにも仰々しく構える奴はたいしたことがない、真に思慮深い人は悠々としているものだ

言葉を慎み、暴飲暴食はするな、満足することを覚えれば、悪いことは起こらない

このようにして生きれば、いつか花咲く日も訪れるであろう

 


誰かさんの主観的な訳で申し訳ないけど、私これすんごい好きで、これが実践できるひとになりたいなあと思ってきたきてるわけです、難しいけど

ちょっと茨木のり子さんの『自分の感受性くらい』と重なるところがあるし、他人の短所を批判するな、ってところでは『グレート・ギャツビー』の冒頭を連想しちゃうんだけど、それはまあまた今度のために置いといて、この漢詩の内容は超ざっくり言えば「謙虚であれ」そして「自分の尊厳を守れ」って印象です

相手の欠点は責めないで、自分のできることは不必要に言いふらさない

与えたものは返ってこなくて当然って考える

皆、自分になんか関心はないけど、自分が「この人のためにならあんなことしてあげたいなあ」って思いは見返りを求めない純粋な心で実行できる

そんな状況でも不平等だなんて愚痴らないで

威張らないで

見栄を張らないで

謙虚に愚直に弱く

ばかみたいに生きたいなあと

いつもいつも思っています


実践できてるかというとむしろまだまだだけど、クイーンオブ傲慢おめでとうございますって感じだった頃は「私は自分の時間を犠牲にして◯◯ちゃんのためにこんなことあんなことしたのに、私が困ってる時はそんな放っておくなんて無情かよ」って生意気なことを思ってました

なんか私だけ損してる気がしたので

でもこれってその他人を貶してるんじゃなくて、自分自身を否定してるんじゃないかなと思ったわけです

私が「してあげたい」って思ってしたことが、見返りを求めることで急に醜いものに見えてきたというか

自分がその人のために使った時間を「無駄」ってとらえて、その人のために何かをしてあげた自分を貶してるような、自分で自分の価値を下げてるような気がしたんだよね

なんか、そのときに、別に優秀な人間じゃなくても、せめて謙虚さは失わないでいたいなあって思ったんです

もちろん他人から何かしてもらえることって嬉しいけど

それを当然としてみなすのはおかしいよね

だって世界は自分に都合よく作られてるわけじゃじゃないんだし

相手から構ってもらえなくても、お返しがなくてもそれは異常じゃない、それが普通なんだと思う

世界は無関心です

っていうか、私は「自分が好きで勝手にしたくせに、ひとに自分への恩恵を押し付けるな、おこがましい」って自分に言い聞かせてきたから、ちょっと人と感覚がズレてるときがあるんだけど、求めすぎない、っていうのはひとつの在り方かなとは思ってます

少なくともありがたみを感じられるようにはなるよ(笑)

実際、私は他人から何かお誘いしてもらえたり、何かもらったりしたときにめちゃめちゃ嬉しがって見えるらしいんだけど、実際スーパー嬉しいので当然です(笑)

なんなら自分が発信したことに応えてくれるそれだけでもありがたいなあっていつも思ってます

無関心な世界で誰かが反応してくれることは奇跡だと思ってるし、周りが応えてくれる時の嬉しさが沁みるからこそ、たとえ周りが反応してくれなくても、自分は反応してあげたいです

偽善者かよって思われるかもだけど、この世の中に偽善者じゃないひとがいると思ってんなら、自分が偽善者じゃないって言い切れるんなら、そう言ってね


最後に、私は周りの人に対して「自分のために何もしてくれなくて当然な人たち」とは思ってないから、そこは念を押させてください

私の周りのひとたちは、私にはもったいないくらい素敵なひとたちしかいないし、本当にひとに、環境に恵まれたなあって感じます

いつもにこにこがとまりません

周りの皆のおかげです

皆が思ってるほど私は皆に関心を持ってはいないけど、皆が思ってるよりずっと私は皆のことがすきです

お わ り