早く迎えに行ってあげないと

f:id:ctma25:20160427211110j:plain

 

こんばんは

第2回目です(←こんなん絶対後で書かなくなる笑)

今日は前回ちょろっと触れた書くことについてと、かつそれに加えて読むことについても少し書いてみようかなと思います

単刀直入に言うと、私は書くことが好きなのと同じくらい読むことが好きです

「読む」と「書く」は絶対に平行線じゃなくて、延長線上にあるものだと思います

そして面白いなあと思うのは、「考え」て読んだり書いたりはしてないことです

作文とか、よく書いてる映画レビューも、考えたことを整理して書いてるんじゃなくて、書くことで自分が何考えてるか気付けて、整理できています

書いてるうちに「へえ、わたしこんな風に考えてたのか、面白〜」とかひとりで思ってます(笑)

これほんと変な順序に見えるんだけど、でもどんなに変でもそうなんだから仕方ない

ほんとに私はぽけ~っとして過ごしてるけど「書く」ことで自分の中に灯った火を風から守ってあげて、小さくても芯のしっかりした炎にしてあげたいなあと思ってます

もし書かなかったらきっとすぐ消えてしまうくらい弱々しい火ばかりだから、この感覚が訪れるのはもうこれっきりかもしれないから、自分のために書いて、どうにかしてこの感じを覚えておいてあげないと、みたいな感じ

書くことでそれ以上のお返しが自分に戻ってくることを確信してるから、有限な時間の中で書いて書いて書きまくりたいと思う

語彙力がなさすぎて自分と言葉の限界を毎日感じつつ、でもどうにかこの感覚を文字に呼び起こす悪あがきをやってみないと、消えちゃう!ああもうちょっとで消えちゃう!って思えるうちはまだましだけど、気づかないうちに、宝物になったかもしれないその感覚を失ってしまうのはあまりにもったいないから

書かなければ



書きたい

をごちゃまぜにした感覚でいつも私は書きます

だからこのブログの読者は私以外の誰かと「これから先」の私です

どちらにも、何か届いたらいいなあくらいの気持ちだけど

「ぜんっぜん何書いてるか不明」って思われても、その感覚もきっと大切にできるはずだし、言葉が生きるのは「どう書かれたか」じゃなくて「どう読まれたか」にかかってると思う

書き手じゃなくて読み手が言葉が秘める無限の感覚を引き出して、読まれた時初めて言葉は意味をなす、と思います

だからたくさん読みたいね

著者が何を伝えたかったかを考えるというよりも、それを読んで自分の中にある何かに気付けたかを大切にしたい

新しい発見なんて全然なくて、埋もれてた何かを発掘する作業が「読む」なんじゃないかなあ

この本を読んで新しい発見があった

なんて

それは嘘、勘違い、言葉の選択ミス、騙されてる、と思う

自分が忘れてるってことさえも忘れてたような感情に再会できただけで、

ごきげんよう、お久しぶり、って感じ

絶対覚えてることより忘れたことが多い

だから読んで読んで思い出したい

早く見つけてあげないとそろそろ時効なフィーリングもあるかもしれないから

早く迎えに行ってあげないと

大昔から埋もれてる何かはずっとずっと待ってくれてるから、

今しか出来ない「読む」が今しか出来ない「書く」と同じくらいきっといっぱいあるから、

読んで 書いて 読んで 書いて

たくさんインプットしてアウトプットしていきたいなあ

雨の日はいつだって読書の味方です

素敵な夜をお過ごしください