あの頃に戻っても、私は私を止めたりしない
こんばんは
前のブログを長い間放置していた結果、IDとパスワードを忘れ、かつ「IDとパスワードを忘れた方へ」の指示に従ってもログインできなかった人です
機械音痴なので、「仕方ない、もう別のブログ作っちゃえ!」ってことで如月に新しく作り直しました
第1回目の今日は、ブログ名について
An Eductionにしたのは、書くことが私のeductionだと思ったからです
由来は高2のときに観た『17歳の肖像』の原題(An Education)で、それをそのまま使わせてもらってます
この映画は、ちょっと背伸びしたいお年頃の高校生が大人の世界に足を踏み入れて大切なものを失いながらも、それらを通して精神的に大人になるお話
若気の至りってまとめるとそれまでだけど、大人になるまで、キラキラしてるだけじゃない大人の世界を知る苦い経験、ある意味自分の失敗談すらも含めて全部人生のeducationになるんだと教えてくれる(と私は解釈している)1本です
この映画において、お洒落な映画だとかCarey Mulligan可愛いだとかはどうでもよくないけど今はどうでもいいとして
私が当時思ったのは、世界を知ることは痛いことなんだなあってこと
そして、世界を知ることと同じように、世界に自分を晒していくことも痛いなあってことです
私は、自分を周りに晒すのを拒むタイプです
それは授業で発表しないとか意見言わないとかじゃなくて、「寂しい」だとかのパーソナルで無防備な感情を極力発信しない人って意味で
(嬉しいとか楽しいはすぐ表すけど)
自分は寂しいんですって言って泣いて問題が解決するわけでもないし、そもそもほんとに感情爆発してたら寂しいとかいう3文字だけで私のあんな気持ちやこんな気持ちが表されてたまるかよって、気持ちが強いほど抽象的な言語化はしたくなくなる(私 is 怠惰なだけだけど、これについてはまたいつか書こう)
すぐ泣いちゃう人、すぐ悲しい寂しい嫌だって言える人はすごく素直で可愛いなあって思うけど、わたしは人前でそんなこと言うのが厭だし、なんか自分で許せないなと思ってしまう(これはどっちが正しいとかじゃなくてほんとにその人によるところが大きいと思うってことは書いときます)
もちろん全部セーブできるわけじゃないけど、他人に見せたくないパーソナルな理由で悲しいとき寂しいときは誰かの前では泣きたくないから、泣くときの95%は「今なら泣いてもいいかな」と判断してから泣いてる
…泣くときさえわりと考えて泣くから私はほんとに可愛くないと思う(笑)
でも、やっぱりそういう自分の弱い面を見せるのは嫌だし、いや、うーん、嫌というか、弱い面に限らず自分を出すことは怖いことだと思う
最初に言ったように
でも、わたしは「書く」って作業がめちゃめちゃ好きで、それは「書く」ことで今まで知らなかった名前もないような感情に出会えたり、自分の弱いところを知れば知るほどひとつ強くなった気になれたりするからです
だからほんとにザ・自己満な「わたしの思ったことたち」みたいな、そうやって痛いかもしれないけど決して無駄にはならない私の一部を「書く」ことをマイペースにやろうかなあ、とほんとに、スーパー気まぐれに思いました(笑)
An Educationの日本語キャッチコピーは、
「あの頃に戻っても、私は私を止めたりしない」
未来の自分にから見たらばかに見えたり幼稚だったなと思ったりするかもしれないけど、でもそんなばかに見える過去と今の自分が未来の自分を作るんだし、未来の自分にはない何かを持ってるのもそのふたりだと思う
なので、恥ずかしい文章を堂々と書いてやろうと思います
だいたい私は手紙とか書いて人に渡した後とかも「ああもうやってしまった、またあんなこと書いてしまったよううう」ってなりながらもなんだかんだ懲りずに書いていつも最終的に発狂してるし(笑)
ということで、更新頻度の波ありまくりだと思うけど、ちょこちょこ書いていくので暇だったら時間つぶしにでも寄ってください
次の記事は、驚くほど雑なブログ用のメモ帳をスクロールして気分で決めます(「白目について」とか「絶対について」とか1行メモしかない笑)
P.S. 今日で21歳になりました
このままずっとばかなままでいたいです
お わ り